あしたのジョーの力石におくる

あしたのジョー」力石が死んだ。とこまで読んだということ。

 

 力石の死は作者のちばてつや氏がジョーより力石を大きく描いたために、ジョーとの決戦に過酷な減量を強いられることになったのが要因である。これは運命的な物語運びと思う。力石は生み出された時からすでにその死が運命づけられていたと言っても過言じゃない。華々しいデビューを飾っていた矢先に暴力事件で見事に少年院いき。そこで手のつけられない厄介者、矢吹丈に出逢う。少年院での初試合(その前の喧嘩は力石の勝ち)は引き分けだった。気絶した両者は、試合をみた他の少年たちのボクシングに熱狂する声に目を覚ましただ静かに微笑む瞬間、拳闘という名の木の根元に漂流地を、永住地を見出したのだ。ただひたすらおれは運命という言葉が大好きなのだ。チャリで横から飛び出す車にひかれそうになったときも、ひかれそうになっただけでぶつからなかったという事実から「俺は選ばれし人間なんだね」と気づかされた。

 

 でも運命はどう抗うのだ?もしこの場合俺が車に轢かれるにはどうすれば良かったのだろうか。

 

 例えばAとB、2つの道があったとする。自分はどうしてもAに行きたい。しかしBに進まなければいけないという状況下でひたすら懊悩する。例えば30分考えた末に結局、Bに向かったとしてそれは運命からすれば最初からBだと決められていたことなのだ。じゃあ俺が、Aに行きたいという気持ちが運命によって定められていると思ってそれへ抗うためにBを選んだ意味とは?自分の思考が運命にはいつも二手三手と先を読まれているのに俺は屈服してしまった。

 

 運命の実体を何一つ得ていない俺は果たして選ばれし人間なのか・・・?

 

 そんなこんなで「あしたのジョー」は面白い。暴力が凄いが、みんなケロッとし過ぎて忘れてしまう。西が減量に耐えかねて毎夜、屋台のうどんを食っているのに対し、力石を見習えと言って腹パンするジョー。ジョーのクロスカウンターを破る技を練習中の所をジョーのスパイを務めようと健気に頑張るドヤ街の子ども達にみられたからと言ってリンチするウルフ金串。だがほっこりするようなギャグシーンもある。安心してほしい。

 

 力石との物語はただただ熱かった。ジョーの力石への愛が伝わる。もちろんその逆も。ボクシングなんか全然興味ないのにね。プロレスはたまに観るが、あーいう格闘技は何がいいかと言うと男と男の体のぶつかり合いだ。めちゃくちゃ当たり前のことを言うが。なぜ良いかというと、まあ全員乳首がたっている。これがいい。技の応酬とか、魅せとかそうじゃない。乳首がよいのだ。「あしたのジョー」はそういう男の熱さを感じる。もちろんバトル漫画として読んでも面白い。ボクシングは、というか「あしたのジョー」を読んだ感想だがちゃんと理論に適っているので高度なバトル漫画と大差ないのだ。ただ殴り合うだけじゃない。そこには駆け引きがある。西部劇だ。果し合いだ。燃えるぜ!ジョー!

 力石の満足げな死に顔に、俺は彼らにとっての拳闘を見出せるだろうかと訝しがる。ただ今はジョーの行く末を見守る。そもそも読み終わってないのだ。とりあえず寺山修司に対抗して俺の俺なりの力石徹への弔辞だぜ。

 

 こうやって、色々面白かった作品をどんどん書いていきたいと思う。フィルマークスなんかは映画についての諸評を書くにはもってこいだが、作品をみて湧き出る自分の感情なんか書くにはブログとかがいいような気がした。まあほぼ日記。ひとが読める日記なので変なことは書かない。後世に恥は残したくないのでね。次はガンダムです。ご機嫌よう。

 

今日の一句

 

月見ても 心(しん)戸惑えば 爪ぞ切り