貴方と解ける雪女

春を俟ち あなたと解ける 雪女 只々地は 日に照らされり

久しぶりに日記を再開

 良いものが書けたと思うたびに、あーそういえば俺って落ちこぼれなんだった!と思ってがっかりする。でもせめて自分だけは自分を褒めてあげようと、ね。

 

 久しぶりに日記を再開した。タイトルの伏線回収!

 伊藤計劃先生のブログを読んで一念発起したのである。でも『虐殺器官』は読み終わってません!明日劇場版をみようと思う。結構エッセイとかで影響受けちゃう。三島由紀夫も然り。三島の長編も7冊くらいしか読んでない。めっちゃ好きーって思うけど。新しく三島の文章を摂取するたびにあーめっちゃ好きー!って思うけど著作は3割くらいしか知らない。

 

どうせなのでさっき見たヒッチコックの『ロープ』の感想をば。

 

 擬似ワンカットで全く通用することを実感した。わざわざワンカットを本当にやる必要はない。監督自身が制約をつけてその中で面白くしようと枷として使うならわかるが、ワンカット!と断言するのは非常に身の振り方を考えさせられる事になる。
 ブランドンもそうだ、彼は優生思想に取り憑かれ己が優れた側に立っていると決めつけてしまいそれが自らの首を絞める事となってしまった。そんな未来にも気づかず手駒フィリップを操って嬉々として友人デヴィッドを縊り殺すのである。彼が彼自身の犠牲者を隠したチェストをダイニングテーブルにしてパーティを楽しみ我々観客にスリルを与え続ける中、訪れた彼の思想における師ルパートが箱の中身に迫っていくのだ。
 ブランドンはパーティに昔の恋人ジャネット、彼女の昔の恋人ケネス、そして彼の親友であり今ジャネットの婚約者だったデヴィッドの父親を招待し来るはずのないデヴィッドを待ちながら思い通りに彼らを操ろうと躍起になる。ルパートはブランドン、フィリップ、ケネス、デヴィッドがいた寮の監督だった男だ。当然、ブランドンの性質はよく知っている。彼自身も気付いていない興奮すると吃ることを…。
 ルパートもまたその優生思想で以って周りの下らない人間たちに精密な論理と広大な見識を駆使して優位に立ってきた。そうして彼はこのパーティに仕組まれた違和感という名のロープを解いていくのだった…。

 ヒットラーの名前も出てくるように戦後間もないからこそのテーマ性でもあるのだろう、本当に優劣があったとして自分が優の方選べるってすごい事よ。周りの人間と俺は違う!って思ったとしてもそれは本質的には劣の側である事を認めていると思うのだ。とまあ、がみがみ独り言ちているが、擬似ワンカットの繋げ方が人物を部屋と部屋を交互に行き来させる事によって画面を人間の背中のアップで真っ暗にして切り替えていく方法で行われていて不自然なく見れる。そしてカメラが常にデヴィッドの入った棺を中心に動くのだ。賓客がみな不在だと思っているデヴィッド、だが彼は確実に存在していると画面で語っている。恐ろしい作品だ!
 それと古畑とかもそうだけど探偵の犯人への敬意というか物語上そうしないと破綻するというのもあるが、絶対答えを解っているけれどもゴールまで一っ飛びじゃなくて一歩一歩着実に近づいていくその論理の美学に惚れ惚れする。今作はブランドンもルパートに対して論理で立ち向かうので非常に見応えがある。だからラストの余韻も深い。