貴方と解ける雪女

春を俟ち あなたと解ける 雪女 只々地は 日に照らされり

雑感~1番の軽薄さ~

 スターウォーズ4、5を観る。こないだローグワンを観たので観ないわけにはいかなかった。やはり4が1番面白いか。正直に言うと3が1番観やすくて琴線に触れるのだが4を等閑にするわけにもいかぬし、4は冒険を1番感じるというか。それは普遍的な物語を扱っているからだろうか。ルークが家業である農業を手伝わされ悶々とした日々を送るのはジョージルーカス自身の過去が投影されているという。父親は厳しい男で家の文房具屋を継がせようとしていたらしい。それに反対してルーカスは映画の道に進んだ。ルークも養親の死によって戦士としての道を歩んでいく。名前も同じだ。光をもたらすものという意味なんだそう。幻想は現実になった。スターウォーズによってSF映画の価値は一段と上がった。感動的である。けれどそんな外側の物語で感動してもしょうがない。

4はライトセーバーを吹き替えでライトサーベルと言っているしライトセーバー戦自体、ダースベイダーとオビワンの戦いでしか見ることはできずその内容はスローな剣道で未完成な感を与える。でも空中戦の特撮がカッコいいのだ。アクションの高揚を1番覚えるのはこのデススター攻略戦だろう。ダースベイダーがタイアドバンストを駆ってルークを追い詰めるのも良い。

5はダースベイダーとの対決が待っている。4でオビワンがルークにお前の父はダースベイダーに殺された、という。セリフのトリックかと思うが、そうではない。ダゴバでルークがフォースの暗黒面と対峙することになり幻覚のダースベイダーと斬り合うが、仮面の中にいたのはルーク自身だったというシーンがある。フォースがあらゆるものに宿りこの空中にも漂っているならば当然己の中にもあり、悲しみや怒りに打ちひしがれた時、暗黒面が顔を出す。己の闇と戦って打ち勝つというテーマがある訳だが、アナキンもその戦いを行い敗れたのだと思うと感慨深い。クローンウォーズにそんな話があった気がするが。というかスターウォーズに関してはあまり何を語ってもしょうがない気がする。考察されまくってるだろ。ただスピンオフを沢山みてみた感想として最後にこれだけ言っておきたい。正直蛇足だろ!深みが増して、オリジナルを心から楽しめるようになったことは確かだが蛇足だろ。間を埋めるのが蛇足。間を埋めようとして足を生やしてしまってオリジナルの見栄えを悪くしてしまうところがある。セリフひとつひとつの想像の余地も無くなるし。オビワンのドラマも楽しみだがダースベイダーとの物語が描かれるのはちょっと厄介かも。それならいっそのことプリクエルからのキャストで4、5、6を作り直せばいいと思う。オリジナルはオリジナルで尊重して。そうでなければ吹き替えをオビワンを森川智之にしてくれー。3でオーダー66を見た時の森川智之の演技は世界一心が動かされた。

最後に8でルークがカイロレンを殺そうとした話は個人的に父殺しによる通過儀礼を乗り越え英雄になった男の善人とは思えない行動を、想像の余地はあるにしろ映像でのみ歴史を追えない我々観客に対してそこに至る過程を丁寧に描かずに見せてしまったことが問題なのだと思う。シークエルが正史である以上オリジナルのキャラクター観に侵入してしまうのを否定できないにしろ、製作者は違うわけだから英雄の堕落を描くならその過程を丹念に描くべきだ、と思う。

 

長い話だった。適当に書こうと思ったのに。

6もみないといけない。でも本当に面白くないのだ。イウォークのシーンとか全然好きじゃない。

 

ナチスのSSについてのドキュメンタリーをみる。元SSのインタビューで彼がユダヤ人に対する差別正当化についての言及をしていて、

「おいしいリンゴと梨がある。これらを配合させるとリンゴでも梨でもないものが生まれる。そういうことだ」

といった。リンゴと梨の優劣の判断基準は彼自身の主観による“おいしい”でしかないのだ。客観的に見てこれらは同じバラ科(そうだったの!?)の果物でさくらんぼとかイチゴも同じ科に属する。これを人間で当てはめると人種でアーリア人ユダヤ人ということになる。で彼の主観によってアーリア人が“おいしい”からユダヤ人と混ざるとおいしくなくなると。恐ろしい価値観だ。何かのエッセイで読んだが昭和初期くらいの話で金沢に住む老婆が23時に寝て7時に起きるなら9時間も寝れると23時スタートで1とカウントする数え年的解釈をしているのを科学者の著者が8時間だと何度説明しても、口上手だなーと言って改まらなかったという話を思い出す。前科学的発想で、ある意味凄い話の部類。現在生き残っているのは当時子供だった人たちなので人間を幼年期から教育すればどんなにおかしな発想でも植え付けることは可能だという訳だ。悪いのは俺じゃない、国だ。と言われても言い返せないかもしれない。そんなことが印象に残った。

 

平清盛NHKオンデマンドに来たので観ている。大河史上1番面白いかも。そんな観てないが。松田聖子の演技が独特だ。セリフの拍の付け方というか間が不思議。引き込まれる。松山ケンイチ演じる清盛と井浦新演じる崇徳院は異母兄弟ということか。これは楽しみだ。崇徳天皇鳥羽天皇に「叔父子」と呼ばれ迫害されていた(自分の子かと思ったら祖父の子だったのだ)らしい。そういうのもこれから出てくるのかな?鳥羽が父にみせてみよと言って崇徳が白河院のところに走り寄って、ガーンとなるシーンが面白い。

他にも清盛が母が死んだ場所にお前は立っているのだと父である白河院に告げられ、「Ah…!」と驚嘆する声が矢に射られた母、舞子の声でダブる演出に鳥肌が立つ。本当にこれから楽しみだ。

 

とりあえず今日はここら辺で、1時間もかかってしまった。長すぎる。

どうする家康

再来年の大河徳川家康を主人公にした
『どうする家康』
脚本リーガルハイの人
主演松本潤ヒロイン有村架純
ネットではナラタージュの恋が成就すると話題。
 織田信長岡田准一。ジャニーズの先輩後輩で二歳差、信長と家康では10歳離れているので7つ離れたキムタクが信長かと予想していたが、岡田准一なら文句なし。正直、信長を過去2回演じたキムタクがやれば話題性的にも大河史上最高の視聴率になると思うし、SMAPと嵐というジャニーズ二大巨頭のイケメンポジ2人の組み合わせはめちゃくちゃおもしろいと思うのだが岡田准一も好きなので甲乙つけがたい。若い頃も演じるとなったら岡田くんの方が若々しさもあってベストか。
 豊臣秀吉ムロツヨシ。プライベートでも仲のいい2人、ムロツヨシを俳優としてあまり知らないので秀吉の怖さが出せるか不安だが、普段のふざけたイメージのムロが残虐な秀吉に変貌するギャップで反響を起こすと予想される。
 織田信長徳川家康の裏切りを疑って奥さんと息子を殺します、つまり有村架純岡田准一に殺される。息子の信康を誰が演じるかにも期待、これもジャニーズの誰かか?
 他にも武田信玄阿部寛今川義元野村萬斎というキャスティングが発表された。コメディに強いキャストが多い印象。

 

 リーガルハイもめちゃくちゃ面白かったので期待は大きい。ただシーズン2は1話でやめてしまったし、話数的にも大河をやるとなったら一筋縄ではいかないだろう。タイトルからしおちゃらけた部分は当然あると思うし、それを楽しみにもしているので変に気張った厳しい雰囲気よりも若い世代は取り込みやすいだろう。戦国時代というメジャーな時代を取り扱うし、新しい作品で大まかな世界を知ってどんどん古い大河に手を出していけばいいのではないかと思う。俺史上最高の信長、高橋幸治の『黄金の日日』もいい加減再開しなければ。大河は観たいものが沢山ある。『平清盛』『秀吉』『軍師官兵衛』『太平記』『山河燃ゆ』『花の乱』etc.
ただ長すぎて興味本位で観始めれないのが難点。だから毎週楽しみに観るという形式がベスト。でもそれも一回見逃すと面倒くさくなって『真田丸』は44話くらいで止まっているし、今入っている『最愛』も4話から進んでない。気づいたらひとり死んでるし。

 

まあまずは来年の『鎌倉殿の13人』が今一番楽しみです。本当にコレのために生きようと思える。

後世畏るべし

 先生という熟語は先に生まれた人という認識をそれをつかった主体が客体に対して使うことで本来の敬意が付されるものである。小学生時代、教師に対して反抗的な態度をとっていた事があった。結果的に手痛い仕打ちを受けて、反抗というのは良くないことなのだと何と無くおもった。それでも中学生、高校生とやっぱりなめている部分はあったけど。

 でも教師には申し訳ないが、急に今日から私が先生です!と眼前で見下ろされるのは自我を形成しつつある学生時代にはやっぱり快く受け入れるのは難しい。今日から私が父親だ、母親よ、も親とか先生という言葉にやっぱり上下関係があるからむず痒い気持ちになる。それを快くなくても体罰で無理やり理解させていたのが今より少し前までの時代で、そこには暴力に暴力で対抗しようという生徒も少なからずいたと思う。まあ上意下達が当て嵌まれば、国でも警察でも上司でもキャプテンでもアニキでも親分でも違和が生まれる。これらは気付けば勝手に上にいるものなのだ。ただ反発はバネの特権ですから、学生運動とかやっといた方が良かったのかな〜とか考えたり考えなかったり。何がいい、ダメとかじゃなくてそういう強い意志が欲しかった。

 

 


 私って一体なんなんだ?と自問しているときにはやはり教え導いて欲しいと思う。こどもはいつだってワガママだ。でも大人も昔はこどもだった。そのこどものままの感覚を備えているのが文学とか映画とか音楽のカルチャーなんじゃないかと思う(もちろん全てに例外はあるが学問はどちらかというと冷静な方だ)。

 だから本を読んだりすると、この人こそが私の先生!と思われるのだ。何せ自分で選んでいる訳だから。”先に生まれる“とはレトリックのようなもので、先に悟りを得たくらいの意味に解せる。自分の求めていた答えを与えてくれる存在がつまり『先生』なのだという事。ただ教師の方が現実の厳しさを知っていて、カルチャーという歯の浮くような存在が無職の作り出したものかもしれない。でも正解か不正解かは問題じゃなくてその先生に巡り会えた感動が成長に繋がるんである。もしくはその感動の裏切り(さっきから逆接ばっかり)。

 そしてその与えた影響に対しての無責任さこそがカルチャーのエッセンスである。くっついたり離れたりそれは本人の意志によって好きに選択できる、いわば能動的なもので判断は自己責任なのだ。楽な反面、馬鹿だとすごく苦労する。

 ちなみに西南戦争で士族によって西郷隆盛は神輿に担がれ敗戦、結果自害した。二・二六事件青年将校達に思想面で影響を与えた北一輝は将校ともども死刑になった。少年犯罪の責任は親に皺寄せが来る。極端な例かもしれないがカルチャーと現実はこうも違う。配偶者とセフレくらい違う。いるか?下ネタ(の例えが一番わかりやすい、万国共通だから)。カルチャーという幻想、作品を通してしか作者を知らないからこそその温もりに寄りかかることができる。逆に青春時代好きだった音楽も10年後にはなんだこの甘ったるいラブソングは、とあっさり切り捨てることも可能なのだ。

 


 話が逸れてしまった。とりあえず教師に対する不信感というのは少なからず皆持っている。大人だからと言って敬語を使わなければいけないという世間一般の常識は苦手だ。と言いつつ20も離れたガキにタメ口をきかれるのは気分がいい物ではないと思うが、それは自分が相手から尊敬できる人と認識されていないからなんだと思うべきかもしれない。年上に対する敬意を表するかどうかは自発的に行いたいなと若い子はみんな思っている。主語を拡大することによって主張の責任を免れてみた。スマソ。

ANAMAN

 江戸川乱歩の『鏡地獄』をご存知だろうか?鏡の魅力に取り憑かれた青年が、内部が一面鏡の球体に入って気が狂ってしまうという物語だ。馬鹿げた話だがそれを試した者は誰もいない。現実にそんな場所に入ると人はどうなってしまうのか?

 今から語るこの物語もふざけていると一笑に付すようなものかもしれないが、誰もそんな経験をした者はいないのだ。空想を絵空事と断言することはできるのだろうか?神話に変わって台頭した科学に。

 人の思いつく物で実現できないことはないというなら何故神はその御力をあらたかに示してくださらないのだという問いに答えることなどできるのだろうか?我々非力な人間に。

 

 

 今日もまた高橋は20階の窓から見える道路を挟んだ向かいのそのまた向こうに見えるマンションの同じ階を覗いていた。数日前のことだ、ベランダに出て星座でも見ようかと望遠鏡を取り出して、でもそんな気分でもないのでヒッチコックの『裏窓』のつもりで深夜のチカチカする住宅街を映し出したとき。辺りで一番高い先述したマンションにカーテンも付けずに外から丸見えの一室を発見したのだ。殺風景な部屋で照明以外には中央に陶磁器製の花瓶というかティーカップに百合の花が活けてある。そこで男が全裸で体操をしていた。大仰な動きで快活なのだが決して中央のティーカップには当たらない。くだらない、と思って高橋は部屋に戻った。

 次の日、同じ時間帯にふともう一度その部屋を覗いてみた。今度は全裸でひたすら倒立をしている。顔が鬱血して青みがかっている所をみるといつからその姿勢だったのか、電車で首を恐ろしい角度に捻って眠るサラリーマンを見た時のように心配になった。

 数分するとさすがに男は倒立を解除して片膝を立て壁にもたれかかった。顔は無表情だが肩を怒らせ必死にハァハァ言っている。しかしある程度休憩するとまた倒立を始めた。何故か今日はそれがめちゃくちゃツボにハマってしまった。爆笑し続けて気づけば5時間以上経過している、こんなことで?なんだ?仕事疲れか?いや、親の会社でただ座ってスマホをいじっているだけでお金の入るとんでもなく簡単な仕事だ。とりあえず今日はもう寝なくては。急にドッと疲れたような気がした。

 

 

 それから高橋はその男に夢中になった。謎というのはいつも人を惹きつける。理由も目的もわからない謎の男。誰に打ち明けるでもない密かな楽しみ。異界を覗き込むようなスリルがあった。

 

 

 そんな日が二、三日経ち、そして今日…。いつものように男が部屋に現れるのを待って望遠鏡越しに、珍しく電気のついてないそこをじっと覗き込んでいた。すると突然パッと電気がついた!今日は一体どうして俺を楽しませてくれるのだろうか?

 男は左手にリモコンをもちフランス窓に向かってお尻を突き出した形で前屈みになっている。そうしてお尻の穴をヒクヒクさせながら開いたり締めたりしている。クリーチャーが獲物を待ち構えるようなそのおぞましさは、穴という空洞のエロスを一層際立てた。・・・高橋は思った。これは映画で観たモールス信号とやらではないのか?何故そんなことを天に向かってしているのか、さっぱり分からなかったがともかく携帯でモールス信号を調べて解読してみることにした。・・・高橋は驚愕した。男はこう言っていたからだ。

 


 「ユウアアネクスト」

 


 ・・・高橋は気づいた。男のいる25階建ての高層マンションより南5キロメートル以内で高い建物はこの20階建てのマンションだけだった。つまり男の部屋を覗くことが出来るのは高橋だけだったということになる。既に男の部屋は電気が消えていた。高橋はゾッとする怖気を気持ち良いと思った。

 


 高橋は数日後、警察によって遺体となって発見された。傷ひとつなく死因も不明、さらに効きすぎた冷房がつけっぱなしで遺体は生きているかのように綺麗なままだった。死顔は天国の夢を見ているように莞爾としている。まあ当然天国にいるのだが。しかして高層であるのに段々と値が下がっていくこのマンションにまた新たな被害者がやってくるのだ。全裸の男はというと、今日もまた部屋で……。